明治18年(1885年)に東京・新宿に「フルーツ専門店」として産声を上げて以来、
新宿と共に発展してきた歴史をご紹介します。

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イントロダクション

新宿高野は新宿駅開業と同じ明治18年(1885年)に東京・新宿に「フルーツ専門店」として産声を上げて以来、新宿とともに発展し、常に最高の美味しさと品質を求め続けてきました。
いち早く産地や生産者に注目し、他に先駆けて自社工場を設立、フルーツの魅力を生かしたオリジナル商品の開発、さらにはフルーツパーラーを展開するなど、常にフルーツの美味しさと可能性を追求してきました。フルーツギフト専門店として、お客様の信頼を裏切らず、一人一人のご要望に上質な商品とサービスで誠心誠意お客様にお応えしたい。時は移り、人の価値や街の風景は変わっても、その思いは変わることなく、新宿高野は次の100年を目指します。

1885年創業

1885
弊社の創業は1885年(明治18年)で、新宿駅の開業(日本鉄道・品川~新宿間)と同じ年になります。初代髙野吉太郎が現在の新宿駅ビルあたりに、繭仲買・古道具を本業とし、果実を副業とする(ヤマキ)高野商店を創業いたしました。
当時新宿駅は人通りもまばらで、「一日三往復で、貨物はあるが客は無く、雨天になると乗降客皆無しという、さびしい駅であった」(芳賀善次郎著「新宿の今昔」)とあるように当時駅舎は、盛り場であった内藤新宿の中心からはずれた、さびれた場所(現在の位置)に作られていました。後年、この宿場のはずれのさびれた地域が、駅の発展と共に繁華街の中心となっていくのです。駅前にあった弊社も駅の発展と共に果物屋としての商売が盛んになっていきます。

果物の歴史は新宿から新宿御苑の歴史

日本の果物の歴史を語る上で忘れてはならないのが、新宿御苑にあった農事試験場です。当時(1872年 明治5年)明治政府は、果樹栽培による農業振興のため新宿御苑にあった農事試験場に、欧米から数百種の果樹苗を輸入し栽培しました。そして、その苗が日本全国に配布され現在のような果物天国日本へと発展してくるのです。この新宿御苑農事試験場において福羽逸人(はやと)博士は果樹研究において日本の果物の発展に大きな貢献をし、今につながる「ふじりんご」や苺のルーツといわれる「福羽イチゴ」、そしてマスカット・オブ・アレキサンドリアなどの逸品が生み出されました。その結果1885年(明治18年)には、芸術果と賞される温室メロン「マスクメロン」の栽培にも成功しています。このように現在当たり前に食べられている果物の多くが明治以降に新宿御苑にあった農事試験場において品種改良され、現在我々が食するフルーツができあがってくるのです。その意味で、新宿はフルーツの歴史を語る上で非常に重要な場所であると言えると思います。

鉄道と共に発展していく新宿東口周辺

1907
一方、駅前を中心とした東口では、鉄道が敷かれると道路も拡張され、それまで江戸時代の宿場そのままだった街並みが新しい姿に変わっていきました。特に日露戦争後、戦後の好景気により都市化が進み、多くの人が移り住んできて田畑が市街地化して、人口は急増し、土地の価格も急騰しました。このことが新宿高野の商業活動に大変有利に働き、新宿高野が果物屋として多くの人々を相手にした商売に発展していきました。そして、明治40年以降、進物に果物を用いることが大流行し、弊社も大きく発展していきます。

マスクメロンの販売と大正モダンそしてフルーツパーラー

1920
大正時代に入りますと、1919年(大正8年)二代目髙野吉太郎が時代の趨勢を読み、高級果実のマスクメロン販売を開始いたします。このことがきっかで大衆を相手にしていた量販の商売からさらに高級果実店へと大きく販路を拡大するきっかけとなります。この年は、早稲田大学の創始者であり果樹園芸の大家でもあった大隈重信公爵が、マスクメロンを推奨して試食会を催し当時大きな話題となりました。そして関東大震災の後、新宿の街は一変しました。三越デパートが進出しモダンな商店街へと変貌し、新宿駅は鉄筋コンクリート二階建てのモダンな駅舎に生まれ変わりました。そのような街の変化の中で1926年(大正15年)弊社の商店も洋風建築に改装し、フルーツパーラーを設立します。当時珍しいアルファベットを用いた「TAKANO」のロゴマークを採用し、大正モダンの流れの中で、フルーツパーラーは当時の流行の場所となっていきます。ちなみにこの「フルーツパーラー」という呼び名は和製英語で、現在でも英語圏に「フルーツパーラー」という業態は存在しません。そしてこの大正モダンの流れを中村屋さんの文化サロンや、新宿高野のフルーツパーラーが作り上げ、「紀伊国屋で本を買い、中村屋でカリーを食べて、タカノフルーツパーラーでお茶をする」というのがお洒落な休日の過ごし方と当時言われていた事が象徴するように、新宿の老舗御三家とも言われている中村屋さん、紀伊国屋さん、新宿高野は、進んだ生活、ハイカラな生活の最先端を切り拓く新しい生活文化の創造に寄与したと考えております。

戦後の復興と歩行者天国、ファッションの街・新宿の発展

1964
時代は下りまして、太平洋戦争をはさみ、戦後新宿の街は大きな発展をしていきます。高度経済成長と共に東京オリンピックが開催(1964年 昭和39年)され、新宿では副都心化が進み、新しい現在のJR新宿駅ビルがこの年に誕生します。弊社においては、私の父にあたります三代目髙野吉太郎の時代となり、輸入の自由化も始まります。そして自社工場を設立し昭和30年代後半から、本格的に自家製フルーツ加工品の製造に取組み、素材フルーツの魅力を最大限に生かすという発想から「生」をキーワードとした生ジャム、生ワインといった一連の生シリーズを発売し大きな反響を呼びました。また新宿は伊勢丹を中心としたファッションの街として、新宿大通りのホリデープロムナードと呼ばれた歩行者天国が大変な賑わいを見せます。そして現在の本店ビル「フレッシュターミナル」(地上8階・地下4 階)が竣工し、1972年(昭和47年)より新宿本店前が土地評価額でこの後10年間日本一となり、毎年「新宿のタカノフルーツパーラー前」という表現がNHKを通して全国に喧伝されることになります。この時期弊社の事業は高級フルーツ店としての専門化と同時に、高度経済成長の波に乗った多角化経営を推し進め、輸入食品を含めた総合食品スーパー事業の展開、そしてファッション事業により海外へも進出を致しました。?

四代目襲名と本店改装&ブランドリニューアル

1991
その後新宿の街は、1991年(平成3年)東京都庁が丸の内から新宿へ移転して、1996年(平成8年)には新宿南口にタカシマヤタイムズスクエアオープン。2008年(平成20年)には副都心線全線開通という現在につながる発展をしていきますが、1990年代のバブル経済の崩壊と共に、弊社におきましては、多角化した事業を整理し、老舗・フルーツ専門店として本業に立ち戻り、さらなる発展を目指してブランド力の向上をはかっていくことなります。新しい府中工場の設立や戸田物流センターのオープンなどを手がける中で、創業120周年にあたる2005年(平成17年)に私が四代目髙野吉太郎を襲名いたしました。そして2006年(平成18年)、さらなるブランド価値の向上を目指し、新宿本店 B1フルーツギフトフロア、B2フーズフロア大改装を実施するのと同時に、ロゴマークなどブランドデザインを一新し、タカノのブランド表現の刷新を図りました。2008年(平成20年)戸田物流センターオープン。2015年(平成27年)府中商品工場は食品安全マネヒメントシステムの国際規格であるFSSC22000を取得。FSSCの基準に則ったソフト面での運用も重視され工場運営がなされています。2018年(平成30年)4月府中食品工場リニューアル。
140th ANNIVERSARY
おかげさまで新宿高野・創業140周年
フルーツを通して人の心を豊にする
新宿高野は2025年の今年、創業140周年を迎えます。明治18年1885年に東京・新宿に「フルーツ専門店」として産声を上げて以来、新宿の街と共に発展し、最高の美味しさと品質を求め続けて参りました。
140周年を記念して、新宿高野では限定のケーキ、タカノフルーツパーラー新宿本店では限定のパフェを、毎月販売・ご提供いたします。
  • リュクス~マスクメロン&清見~

    ベルガモット風味のゼリー、クランブル、メロン、清見オレンジなど色々な味と食感を楽しめるデザート。

    税込1,728円(本体価格1,600円)
    販売期間 5/1(木) ~5/9(金)

    ※フルーツまたは原材料の入荷状況により販売期間が変更または販売ができない場合がございます。
    ※店舗によりお取り扱い、在庫状況が異なります。詳細はご利用店舗までお問い合わせください。
  • 静岡県産マスクメロン&シーズナルセレクション~宮崎マンゴー~

    新宿と縁のある静岡県産マスクメロンと季節のフルーツを組み合わせたパフェをご用意しました。とろけるような果肉とスイートな香りの宮崎県産マンゴーを、ソフトクリームやメロングラニテを重ねたパフェに仕立ててご提供します。

    税込3,520円(本体価格3,200円)
    ご提供期間 5/1(木) より
    ご提供店舗 タカノフルーツパーラー新宿本店